深く信じることあたわず、疑惑を生じるもの、
念仏すといえども、往生することを得ず
〜融通念仏宗「信解章」より
念仏すといえども、往生することを得ず
〜融通念仏宗「信解章」より
お彼岸は、ご存知の通り、この岸(此岸)から彼の岸(彼岸)に至るということです。
このことはよくご存知だと思います。
では、彼岸に渡るためには何が大事でしょうか?
当然一番目は、彼岸に渡りたい、仏になりたい、仏に近付きたいという願いが必要です。
先ず【願】です。願いが生まれたら次はお念仏の【行】です。
お念仏を唱えて彼岸に至る、仏に近付くという悟り、これは当然の行為です。
しかし、それよりも大事に心に留めなければならないのが、【信】なのです。
どんな信、何を信じるのかというと、『全性成修』。
つまり「性を全うし、修を成ず」といって、私たち一人一人に仏性、つまり仏の種が確固たる信念があるからこそ、お念仏を唱えさせてもらうのだ、という信なのです。v それが先ず大事ですよということなのです。
『全性成修』というお言葉は信じきるということです。
だからこれをただの信ではなく、深く信じることなので【深心】といわれています。
信解章の中の最初のお言葉は、
「念仏往生を深く信じることのできないものは、特に疑いのある者は、たとえ口に念仏を唱えても往生できない」という意味です。
もっといえば、わが心には仏性があると深く信じきれない者は、
念仏唱えていても、でまかせの念仏を唱えているだけで、彼岸に至ることも、仏性を見出すとか仏に近付くということにはなりません。
そんなのは、形だけで、念仏行とはいえません、ということ厳しいお言葉なのです。
だから『信』、それも信じきるという『深心』をもってお念仏を唱えていただかなくてはいけないのです。






